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- 2023.07.13 Thursday
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2019年4月日本公開、ティモシー・シャラメ主演映画の原作(デヴィッド・シェフ著)を読んでみました。
5月に映画を観ました。
ビジュアル的に美しい映像の向こうのもっと深い主旨を知りたかったので。
************以下は映画「ビューティフルボーイ」公式HPより抜粋
デヴィッド本人により書かれニューヨークタイムズ・マガジン紙に掲載された『薬物中毒の我が息子(My Addicted Son)』という記事が元になったノンフィクション。
2008年に発売されると、アメリカ、エンターテインメント・ウィーク紙の年間最優秀ノンフィクションに選定、アマゾンの「2008年の最高の書籍」の1冊になるなど数々のメディアで絶賛されました。
*************
1982年7月20日にニックは生まれました。
新しい命の誕生は人生に喜びと希望を与える、はず。
ごく普通の熱量で息子を愛して過ごすこと3年。
まさかのデヴィッドの浮気が原因で妻ヴィッキと離婚してしまいます。
ニックを愛するがゆえに共同親権をとったふたり。
ニックは両親の間(遠距離)を行き来する生活を始めます。
幼くしてふたつの人生を送ることを強いられてしまったのです。
初めてニックのマリファナ所持が見つかったのは12歳のとき。
アメリカでは、子どもの成長過程でマリファナと接点をもつ機会はごく普通にあり
続けていくのか、一過性の経験として終わらせるのかが分かれ道となるようです。
依存の原因を作ったのは自分か
幼いころニックにさみしい想いをさせてしまったことが原因か
デヴィッドは自覚していました。
実際、ニックは両親の離婚後に「どこで寝たらいいのかわからない」とカウンセラーに吐露しています。
デヴィッド自身ドラッグ経験者だったことも隠さずにニックに伝えています。
それが功を奏したわけでないことは事実。
誰だってやってる。父さんだって。。。「よく言えるよね」 となるわけです。
その点においてもデヴィッドは間違いを犯してしまったのでしょうか。
自分の経験は隠すべきだったかと。
依存症患者をかかえた家族はまず何をすべきか。
患者にとって自分たちにとってどの道を選択するのが最善か。
援助を求めてより最適なリハビリ施設をさがすも情報が多すぎて決められないのです。
営利目的の施設もあるでしょう。むしろそちらの方がはるかに多いかもしれない。
入所したけどダメでした。また他のプロブラムを。。。と
藁をもすがる思いの家族から資金だけとりあげてゆく。
そう解釈されてもしかたないような現状です。
ドラッグ使用期間が短ければ短いほどやり直しの確立はあがります。
ガンは自分の意思で発症しないけれど依存症のきかっけは意図して起こります。
そして病原がはっきりしているのだからそれを絶てば治るのです。絶てれば。。。
アルコールであれドラッグであれ、摂取をやめて体内の毒を抜き徐々に浄化していけばいい。
理論上は誰にでもわかる簡潔なもの。それが難しい。
カウンセリング、施設でのリハビリを継続中でもほとんどが自分を抑制できません。
「再発は回復の通り道」と言われて納得することができるでしょうか。
カウンセラーにより見解はまちまちなのは仕方がないこと。
セカンドオピニオンが必要とされていることでもわかるように
治療の成功・失敗に絶対はないのです。
特に心理的交流が必要な病にとって患者とカウンセラーの ” 相性 ” が一番ポイントになると思います。
デヴィッドはジャーナリストゆえか根気強くリサーチをつづけた結果、
最終的にニックに合った治療法・カウンセラーに巡り合えたことがラッキーでした。
実際にデビッドは「自分たちはただ運が良かった」と書いています。
幸運をつかむ前に家族が闘いに挫折してしまうか、本人が命を落としてしまうパターンが多いでしょう。
家族(または関係者)一丸となってカウンセリングを受けることによって、
原因をさぐることができるし意図しない気づきを得られるかもしれない。
サポート無くして回復は難しいのだと思うとともに
結局は本人次第なのだとかなしく空しい結論に達します。
デヴィッドは再婚したカレンとの間に二人のこどもを授かります。
ニックの義理の弟と妹はお兄ちゃんが大好き。
ニックも二人を心から愛します。
この二人にも「依存症者をもつ家族」というくくりのカウンセリングが課せられます。
自分のせいで愛する人を窮地に追いやっていることは正気になれば理解できても
ハイになるとどうでもいいことになってしまいます。
患者も家族(支援者)も同じ時間、悩み苦しみ続けるわけですが
非難を覚悟で書いてしまえば、
患者はドラッグでハイになっている間は苦しみから逃避しているわけで、
そうじゃない家族は常に正気で闘っているという違いがあるわけです。
サポート側は
「今回までは助けよう」 しかし 「次には見放そう」 と決意したとしてもまた。。。堂々巡り。
患者本人も
「治りたい」 でも 「縛られたくない」「生きたい」「いっそ死んでしまいたい」。。。堂々巡り。
依存症を扱ったほかの作品のなかで、
サポート側(主に親族)が患者の「死」を願うことは咎められることではなく
ましてノーマルな心理状態だ、と諭されていたシーンを思い出します。
人生を狂わせられるのですから ” 愛 ” だけでは乗り越えられないことも明確です。
映画を観ながら、または原作を読みながら、
数回におよぶ再発の事実を知るたびに ” 自分が親ならどうするだろう ” と自問していました。
やはり、一度や二度は「死」で終結を願ってしまうでしょう。
ただ、デヴィッドはニックの死におびえたことはあっても、死を望んだ記述はありませんでした。
「ドラッグをやめてほしい」 より先に 「息子を癒してください」 としか願えない父親のはがゆさがしみじみ伝わります。
皮肉なことに、ニックを救うために得た知識を生かした活動がデヴィッドの新たなライフワークとなりました。
依存症についてさらに詳しく学び、後に「Clean」を出版しました。
同じ病気で闘っている家族の指南書となっているようです。
この著書でも
アメリカのドラッグ事情、政治的背景、国の対策についての改善提議などが最終章で詳しく書かれています。
たとえ20年ドラッグから手を引いていたとしても
完全に安心はできないということも覚悟しなければなりません。
デヴィッドのメッセージは「希望を捨てるな」です。
息子ニックの著書『Tweak』(=微調整)は日本語訳本が見当たりません。
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