『 ぼくがいま、死について思うこと 』 椎名誠 (2013/04/26 新潮社)
「 死はある意味、解放です 」
今年のはじめ、義父の葬儀でお世話になった僧侶の言葉が思い出されます。
13年間、ベッドに横臥しつづけた義父本人の ”解放 ”
毎週末、車で1時間かけて父を見舞いに通っていたパパさんの ”解放 ”
人生を全うしたとは決して言えないであろうけれど、
80近くまで生が続いていたことで無理やり納得しようとしている。
人生はいつか終わる。
その ”いつか ” が分かれ道になるだろうけれど、この歳(いくつ?)までくると
どこかの保険会社のキャッチコピー
「 生きるための○○保険 」 は要らない、とワタクシは考えています。
ワタクシにとって4人の親のうち、唯一現役バリバリの実父。
ジィジィは孫(ワタクシの娘ね)がお嫁に行くまでは死ねない(死なない)と常々言っているけれど
さて、お嫁に行ったからといって、「はい、もういつ死んで構わないよ」 というわけではないんです。
”お嫁に行くまで ” という、それほど無理でなさそうな期限を設けているだけに過ぎなくて。
お嫁に行ったなら、次は ”ひ孫が産まれるまで。。。 ”となるのが常。
それが、生きがいってこと?
若い頃から無茶をして、幾度も死の間でたたかい(運よく)乗り越えてきた椎名氏。
先輩、後輩、そして友を見送る頻度が増えていくなかで、今やっと自分の死をみつめる段階にきたという。
遅くないかい? と思ってしまうけれど、冒険家としても活躍してきた彼のこと。
『 死 』 はなかなか縁のないキーワードだったのでしょう。
しかし、先に述べたワタクシの父と同様、椎名氏にも孫ができ、今までと別のルートで生きる方向を見据えたのだと思います。
幼い孫に 「じぃじぃは死なない」 と大きな嘘をついたエピソードはどれだけ孫を愛しているかを象徴しています。
不死身に見えても、奇跡は起こりません。
いつか会話が出来なくなり、体に触れられなくなります。
存在がなくなります。
語り継がれるほどの生きざまがなければ、しゃぼん玉と同じかもしれませんよ。
本書では、鳥葬・風葬・水葬についての記述は詳しくて、世界各国で宗教がらみの様々な死者の埋葬事情が書かれています。
奥様である渡辺一枝さんが立ち会った鳥葬や椎名氏が直面した水葬など、ギョッとする描写もなかなか迫力があります。
親族や身近な人たちとの別れ際を回想し、自分の最期に望むこともやんわりと書き記しています。
いじめが原因で自死を決断するこどもに対しては、
早計すぎる。 学校(が原因なら)はやめていい。 じきに羽ばたける。
と残念そうに述べています。
ワタクシもそう思います。
自分を守るために、ときには逃げることも大切だよ、と。
自分がいなければいけない場所は自分が成長できる場所であって
頭を抱える場所ではないんだよ。
そうでしょ。