『 生きる 』 小野田寛郎 PHP研究所 (2013/9/21)
「生きよう」 と思って日々生活してますか?
そんなにそんなに深くも浅くも考えたことなんて今までありますか?
元陸軍少尉で1944年(22歳のとき)にフィリピン・ルバング島に派遣され、翌年の終戦を知らせれることなく30年間ジャングルに潜む生活を続けた、故小野田寛郎さん。
毎日が ”死” と隣り合わせで、くつろいで眠りについたことがないのです。
30年間、張りつめっぱなしの生活って?
ワタクシ達が今後死ぬまでの間に、蟻に鼓膜を破られる可能性は0%でしょう。
でも、彼はやられてしまったのです。
敵対する ”野生のいきもの” の仕業ではありますが、小野田さんたちも正に野生そのものだったのです。
時計も暦も持たない生活では、星と太陽と月の位置で時間と暦を確認します。
帰国するまでの30年間にたった6日のズレしか生じなかったという驚き。
派遣された隊員も大グループから小グループへ、最終的には2人きりの生活に。
”あ・うんの呼吸” で兄弟以上の絆で結ばれたパートナー小塚。
結局彼をも失くしてしまいます。
ひとりでも気丈に生きた小野田さんの元へは、終戦を知らせるチラシが撒かれたり、親族のヘリからの呼びかけがありましたが、それさえも敵の誘惑だと疑い、頑なに身を隠し続けたのです。
自分は上官の任務解除命令を受けるまでは任務を遂行するんだ、という責任感が彼を拘束していました。
生きることに執着していると言ってしまうと語弊があるのでしょうか。
ジャングルでの戦闘中に自殺して終着してしまうことに違和感を感じていたというのです。
後生大事に懐に抱きつづけた弾丸を一発たりとも無駄に使いたくない。
この弾丸は敵を倒す為だけに使われるべき。
人間は決してひとりでは生きていけない。
自然と共存しなければ生きていけない。
そして、自然には永遠に勝てない。
人間がいかにちっぽけで無力なのかを誰よりも知っていたのです。
熱心な捜索隊により晴れて祖国に戻りはしたものの、タイムスリップした日本に生き場所を得られなかった彼は、帰国の翌年にブラジルに移住し牧場経営を始めます。
牛のことは熟知していたからです。
殺して、脚をもぎ、皮をはいで肉を喰らい、燻製にして持ち歩いていたから。。。
牧場経営の傍ら、日本の子どもに自然の大切さを教える「小野田自然塾」を各地で開催し、講演も積極的に行ったそうです。
あぁ、この方の話は機会があれば聞いてみたい、と思いましたが
2014年1月16日、心不全のため91歳で死去されたとのことです。
人生の 1/3 がルバング島だったなんて。
本書では、30年をおそろしくザックリ描いています。
読みながら
30年間、最小限のコミュニケーションしかとれなかった彼が、何故このような豊かな表現力を持つのか不思議に感じました。
説得力があり、重く気持ちの奥底にしみて。。。
キレイ事が一切なく、己の弱さも強みも熟知している。
人間とは別の種の個体が生存しているみたい。
講演を聞けなかった代わりに、他の著書からも小野田さんが30年間胸に秘め外に伝えたかったことを受け止められたらいいかな、と思っています。
今、頑張っている人もそうでない人も、
何かにつまづいてしまった人もつまづくキッカケを探している人も、
一読して損はないと思いますよ。
「ラストサムライ」 は彼のことだったのかと。